IsoD(Isolated Discipline)を1950年から見る
7/21のトークライブ事前レポートで
以前こちらのコラムでPlate Disciplineについて紹介がされました。Plate Disciplineは、投球に対して打者がどのような対応をしたか(見送った・スイングした・バットに当てた、など)を表したデータのことで、主に打者の選球眼や積極性を測る際などに使用されます。その中で選球眼を見る指標としてIsoD(Isolated Discipline)が用いられることがあります。算出式は「出塁率-打率」と簡単で、安打以外の出塁を見る事ができることから四球数が大きく影響します。ただし、厳密には死球も含まれるので、四球が平均並みでも死球が多いと高めの数値になりますが、簡易的に「安打以外の出塁の多さ≒四球の多さ≒選球眼」を見るという点では、計算しやすく便利です。
今回は1950年以降のデータを用いて探っていきたいと思います。
歴代トップ10
もはや、王貞治のすごさしか伝わってこないランキングです。1974年の本塁打は49本ですが、意外にも55本を放った1964年のIsoDは.136の36位でした。それでも400打席以上の全選手平均は.064なので、十分高い数値です。ちなみに11位~20位は次のようになります。
ここでもパワーヒッターが顔をそろえる
ここでも王貞治が3回ランクインするなど偉大すぎる結果ですが、金本知憲、清原和博といった最近まで現役だった打者もランクインしました。ちなみにジョーンズが2名いますが、年度を見ての通り別人です。
13位のジョーンズは現楽天のアンドリュー・ジョーンズですが、16位のジョーンズはクラレンス・ジョーンズといい、1970年~1973年まで南海、1974年~1977年まで近鉄と計8年NPBに在籍したスラッガーです。8年間の通算打率は.239ながらも出塁率は.356で、うち6シーズンで30本塁打以上を記録しています。1974年も打率.226ながら38本塁打で、112三振でした。
アンドリュー・ジョーンズの代名詞といえば、「低打率だけど四球を稼ぎ高出塁率で一発がある」という感じですが、クラレンス・ジョーンズも同じタイプだったと考えられます。
逆にシーズン400打席以上の最下位は1953年のブリットン(阪急)で、448打席で本塁打3、四球3、死球3のみで打率.276に対し、出塁率はわずか.286でIsoDが.010ですが厳密には.0098と唯一の一分未満の選手となりました。
IsoDはパワーヒッターの方が高い傾向になるのか?
1950年から2013年を対象にしているため、シーズン400打席以上たった選手は延べ4108名もいます。そこでこちらのコラムで紹介された長打力を見るIsoP(Isolated Power)との相関になります。グラフの通りですが、相関係数は0.45と緩やかな正の相関が見られます。そこで、下記のような選手を対象にして傾向を探っていきます。
■対象
・一部の現役選手を除き、1936年以降で通算4000打席以上の選手を対象
・IsoDは2リーグ制となった1950年~2013年で200打席以上の年度のみを対象
■出塁率の算出について
公式記録として出塁率の式に犠飛が含まれなかった時代がありますが、今回はすべての年度において現行の出塁率の式でIsoDを算出しています。
■グラフについて
赤線:該当選手のIsoD
青線:リーグ平均IsoD
(1) 高いIsoDを維持するのはやはりスラッガータイプが多い
王貞治を筆頭に強打者が名を連ねており、初期から晩年まで高いIsoDを記録している選手です。王や田淵はキャリア後半で下がっていますが、ピーク時が高すぎただけでキャリア後半も高水準であることは確かです。また、山本和範と谷繁元信は圧倒的な長打力はないものの、高いIsoDを保っています。ほかには藤井康雄、松中信彦などがいます。基本的に高いIsoDを記録し、長期に維持する選手は前述した通り「長打力があるタイプに多い」という傾向はありそうですが、先ほどのIsoPとの相関から、必ずしもそうとはいえないのは次の通りです。
(2) IsoDが低い選手のタイプはいろいろ
ここに属する選手はIsoDが基本的に低い選手です。グラフを見ての通り、下の方で低空飛行をしています。しかし、各選手の名前を見ると高い打力を誇る選手が多いです。ブーマー、ラミレス(元ヤクルト、巨人、横浜DeNA)の他にもマルカーノなどの長距離砲もいます。また、佐々木誠、前田智徳、今江敏晃、内川聖一とアベレージを残しつつも、本塁打が打てる選手や荒木雅博、宮本慎也といったコンタクトヒッタータイプの選手と様々です。また、一方で荒木雅博、宮本慎也と類似したタイプでは、東出輝裕や平野恵一らなどこのタイプはほかにも多くいます。
(3) 長打力は低いが、IsoDが高い選手
IsoDが高い選手の中には(1)のようなスラッガータイプのほかにリードオフタイプの選手もいますが、全体的にはスラッガータイプに比べるとやはり少ないです。IsoDが優秀であることは間違いないのですが、長打力がない故にスラッガータイプに比べると圧倒的なIsoDを記録するのは難しいのかもしれません。他には石井琢朗も1994年~1996年は.100前後のIsoDを残していました。
長打力の低い選手は(2)のカテゴリーや平均レベルで推移する選手が多いため、長打力が低いにも関わらず高いIsoDを維持する選手は比較的貴重なタイプともいえそうです。
戦前の注目選手「山田 潔」
もう一つ触れておきたいのが、(3)の折れ線グラフの山田潔です。特別に入団からの成績を調べました。
打率はほとんどの年度でリーグ平均以下ですが、出塁率ではリーグ平均以上の年がほとんどか、ほぼリーグ平均に近づくなど、打力がここまで劣りながらもこのような出塁率の稼ぎ方をする選手はなかなかおらず、1942年に至っては驚異的なIsoD.197を記録しています。現在では選手数も多く、これだけ打力が低いと試合に出続けるのは難しいと思いますので、昔ならではの記録ではないでしょうか。
IsoDは安定推移で変動しないのか?
(1)~(3)では比較的IsoDが高い位置で安定、低い位置で安定した選手を紹介しました。このコラムを見る方の多くは読んだことがあると思われる「マネーボール(著者:マイケル・ルイス)」においても「選球眼は生まれつきの問題かもしれない」(文庫タイプ P228)という記述があります。
IsoDだけでボール球の見送る能力を断定できない部分もありますが、全体的に見ても基本的に(1)~(3)のパターンや比較的平均レベルで推移するなど安定している選手が多いことから、後天的な能力でなく、先天的な能力の可能性が大きいようにも見えます。この点はボールゾーンスイング率も合わせてみることでよりはっきりしますが、1球ごとの詳細なデータが10年ほどしかないため、それ以前の選手の検証はなかなか難しいのが現状です。
ただ、中には大きく変動する選手もいます。次はそういった選手に触れていますが、変動にも2タイプありそうです。最初に結論からいうと、スラッガータイプに多いといえます。長打力が低い選手でも例外はありますが、割と変動が少ないパターンが多いです。
(4-1)上がっていき、晩年は維持かやや下降程度
顔ぶれを見ると強打者が多いです。ほかにも現役ではロッテの井口資仁やサブローなどもここに属します。長打力が向上するとIsoDが上がる傾向が見えます。
松井秀喜はもともと水準が高いですが、打力向上に伴いさらにIsoDが上昇しました。2002年を最後にMLBに移籍したため上昇までのグラフでここに当てはめましたが、もともと水準が高いため、本来は最初の(1)に属する可能性が高いです。
森野将彦、中村剛也はあまりボールゾーンスイング率の変動がない中でIsoDが高くなっているのは、打力向上による打順の関係やボール球で攻められることが増えたりする中で、結果として四球が増えていると考えられそうです。ただ、高橋由伸については少し異なる見方をしていますので、これは別の機会で触れたいと思います。
(4-2)ピーク時からの下がりが目立つ選手
次は逆に下がっていく選手ですが、こちらも顔ぶれ的には強打者ぞろいです。ただし、打撃成績の下降と共にIsoDの下降が(4-1)より目立ちます。ピーク時には高い長打力を誇ったことで四球を稼いだ点では(4-1)と変わらなさそうですが、打力低下後のIsoDの落ちがこちらの方が激しいです。長打力低下により、勝負を避けられる機会が減り、その分稼いでいた四球が稼げなくなったのは想像がつきそうですが、(4-1)と(4-2)に見られる違いとしては、(4-1)はボールゾーンスイング率が平均または平均より低い森野、井口、サブローと(4-2)はボールゾーンスイング率が高いカブレラ、村田修一がいるため、その辺りの影響はありそうです。
最後にIsoDで小ネタ
いきなり最後に話を変え、少しネタ的な感じにもなってしまいますが、100~200打席という範囲内では1990年にヤクルトに在籍したマーフィーがトップのIsoDを残していました。前年に本塁打王を獲得したパリッシュに変わる主軸として期待されましたが、故障もありわずか34試合の出場でした。しかし、打率も.229と低かったですが、出塁率は.396と4割近い数字をマークしていたので、もし故障もなくフル出場していたら、どうなっていたのかと思う次第です。
次は元ダイエーのニエベスです。冒頭の王貞治が独占したランキングでは400打席以上が対象でしたが、200打席以上にすると金本をわずかに上回り11位にランクインします。1~10位のうち9つが王、6位が田淵というのは変わらないですが、11位が王監督時代にダイエーに在籍したニエベスというのはなんとも不思議な感じです。表を見ての通り打数に対して三振がかなり多いです。1球ごとの詳細なデータがないため推測にはなりますが、三振と四球の多さから現在ではこちらのコラムのジョーンズ(楽天)のような待ち球スタイルだったのではないかと思われます。
今回は厳密な傾向分析ではなく、大ざっぱな分類でしたが、少なからず傾向は見えたとは思います。マネーボールの登場以降は出塁率への注目度が高まり、今では当たり前のように着目される指標ですが、選球眼に対してはまだまだ奥が深そうな感じもします。