人的補償の光と影 タイムリーdata vol.12
12月中旬に入り、新加入選手の獲得や移籍など、プロ野球ではストーブリーグのまっただ中。今オフには8人の選手がFA権行使を宣言し、うち5人は新たな球団へと移ることとなりました。そしてここから気になるのは、移籍に対する補償ではないでしょうか。金銭なのか、人的なのか、そして人的の場合は誰が対象選手となるのか。特に近年は人的補償での移籍を機に活躍する選手もおり、注目を集めています。今回は過去の人的補償でチームを移った選手を振り返りましょう。
初の人的補償と見事なブレーク
1993年に導入されたFA制度。初めての人的補償となったのは2年後の川邉忠義でした。河野博文の移籍に伴い、巨人から日本ハムへと移っています。次はその6年後で、ユウキと平松一宏。前田幸長の人的補償で移籍した平松は、今中慎二が着けた14番を背負うなど期待は大きかったですが、3年間の在籍に終わりました。
人的補償で最初にブレークしたといえるのはユウキ。加藤伸一の人的で移籍した2002年、8月にシーズン初勝利を挙げると、そこから7連勝。特に9月21日からは3試合連続完投勝利(うち2試合で完封)の大活躍を見せました。先発での平均投球回はリーグトップと、最下位に沈んだチームで奮闘。翌年以降はケガの影響で戦力外となるも、09年に育成契約で拾われたヤクルトで5勝と復活を見せました。
FA移籍のち、人的補償
ユウキ、平松の次は3年空いて05年。ここでは西武の守護神だった豊田清の人的補償として、江藤智が移籍しています。江藤は広島時代の1999年オフにFAで巨人へ加入。過去にFAで移籍した選手が、人的補償で移籍となる初めてのケースとなりました。広島で248本、巨人で101本のアーチを放った強打者も西武では4年間で15本。特に三振を喫するシーンが目立ち、かつての姿を取り戻すことはできませんでした。
江藤のように、FA移籍後に人的補償となったのは翌2006年の工藤公康も一緒。球界初の2度のFA移籍をした工藤でしたが、門倉健の人的補償で横浜へ移籍。07年には7勝、09年には46歳で46登板を果たすなど、“ハマのおじさん”が奮闘しました。
当たり年だった2007年
07年には3人が人的補償で移籍しました。和田一浩の人的補償となった岡本真也は、08年に47試合に登板し、チーム2位の18ホールド。新井貴浩の人的補償として移籍した赤松真人は、7年連続2ケタ盗塁と才能が開花。好守でもスタンドを沸かせ、10年にはゴールデングラブ賞に輝きました。
この2人をしのぐ活躍を見せたのが石井一久の人的で移籍した福地寿樹。元々スピードに定評のあった福地は、初年度に42盗塁で初タイトル。背番号3を着けた翌年は、さらに成功率を上げて2年連続の盗塁王に輝きました。セ・リーグで2年連続40盗塁はこの時の福地が最後。引退年にも成功率9割と圧倒的な数字を残すなど、その脚力を存分に発揮しました。
鷹の守護神が電撃移籍
オールスターに選ばれるほどのインパクト
13年にはこれまでで最多の5人が移籍。片岡治大の人的で移籍した脇谷亮太は、かつての名選手が着けた背番号7を託されました。開幕戦に「6番・ファースト」で出場すると、その後は4年ぶりの本塁打や、サヨナラ打を放つなど随所に存在感を放ちました。
5人の中で一番鮮烈な活躍を見せたのが一岡竜司でしょう。大竹寛の人的で移籍した今季はセットアッパーの座を務めると、開幕から20試合連続自責点なしの好投。ファン投票でオールスターに選ばれるなど、前半戦のチームの顔となりました。ケガの影響で後半戦は6試合の登板にとどまったものの、シーズンを通じても防御率0.58と圧倒的な投球。来季は万全の体調、今季以上の活躍が期待されます。