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「国内移籍」助っ人。近年の流れを振り返る。 タイムリーdata vol.9

伊丹 雄斗

※文章、表中の数字は2014年12月1日時点

 プロ野球界では間もなく「自由契約選手」が公示されます。その大半は戦力外通告を受けた日本人選手の名前が並びますが、さまざまな事情により新たな契約がまとまらなかった外国人選手も例外ではありません。近年は自由契約の公示後に「国内移籍」をする助っ人が目立っています。今回は、2009年オフ以降の5年間であった国内移籍を振り返りましょう。

過去5年間の国内移籍助っ人は延べ38選手

 右の表は前年にNPBでプレーして、該当シーズンは別の国内球団に移った外国人選手の人数です。12年には実に12名の助っ人が移籍しました。では、それぞれのシーズンでどの選手が国内移籍をしたのでしょうか。

「国内移籍の象徴」が同一球団に在籍した10、11年

 10、11年のシーズンで国内移籍した外国人選手は右記の9人です。その中でも、シコースキーとフェルナンデスは国内移籍のイメージが強い選手ではないでしょうか。10年に国内延べ5球団目となる西武に加入したシコースキーは、同年に最多セーブのタイトルを獲得しました。同じくフェルナンデスも10年途中に西武に復帰。この年は9月に来日通算1000安打を放ち、翌年はベストナインに選出されました。両者は03年にもロッテで同僚になるなど、共通点も多かった「国内移籍の象徴」といえる外国人プレーヤーです。

「最多勝助っ人」が移籍した12年シーズン

 この5年間で最多の国内移籍があった12年シーズン。ミンチェが外国人選手初となるFA移籍を果たすなど、人数は計12名にのぼりました。その中でも目玉となった選手は、ソフトバンクで最多勝を獲得したホールトンでしょうか。ホールトンは12年に巨人へ移籍すると、2年間で21勝を挙げましたが、13年オフに退団となりました。年度別の被本塁打率を見ると、13年は前年に比べてほぼ2倍に悪化しています。これは使用球が変更された影響や、本拠地の違い、また加齢による衰え……複数の要因があったのでしょう。実績十分の助っ人も、14年は国内で獲得に名乗りを上げる球団は現れませんでした。

注目を集める移籍が目立った13、14年シーズン

 12年オフには日本球界史上初の出来事もありました。中日に在籍していたソーサソトブランコの3選手がそろってDeNAに移籍。外国人3選手が同時に同一球団に移籍するのは史上初めてのケースでした。しかし、14年オフに3選手ともDeNAから自由契約を受けることが濃厚になっています。
 13年オフから14年シーズンにかけては9選手が移籍。13年にオリックスの4番を打っていた李大浩のソフトバンク移籍が決まると、その直後にオリックスがソフトバンクを自由契約になっていたペーニャを獲得しました。今季の両選手は主砲としてチームをけん引。2人とも古巣との対決では似たような成績でしたが、李大浩は優勝争いが白熱した9・10月の同カード7試合で3本塁打9打点の活躍を見せました。一方のペーニャは、ソフトバンクの優勝が決まった10月2日の試合で5打数無安打2三振。もしこの試合の結果が違っていたら、今季のパ・リーグの覇権は変わっていたかも知れません。

 シーズンで大活躍を見せた選手や、故障や不調により本来の力を発揮できなかった選手など、移籍市場にはさまざまなプレーヤーが存在します。今オフのスポーツ紙ではすでに他球団への移籍が決定的とされる助っ人の名前も出てきました。チームの成績に直結することも多い外国人選手。これからの動向に要注目です。